学校に送られてくる雑誌「内外教育」を見せてもらっていたら、その中に小野田正利さんの書かれた興味深い記事がありました。
職場の空気が澄んでいたことの証として語られた白い丸いテーブルの話です。
このテーブルは、教師たちの憩いの場であり、自由に日々の小さなことを語り合うことで、職員室の風通しを良くする象徴的なものでした。
しかし、全てがフォーマルな会合になっていくことで、いつしか白い丸いテーブルが取り去られ、小さな物語が語られなくなっていくことの危うさ。
そのような話でした。
少し長いですが引用します。
「あなたの学校では、職員会議だけではなく、もはやケース会議や学年会、あるいは生徒指導部会で話す人は決まっていないか?
さらには、話す内容や会議の進め方や結論も決まってはいないか?
学校のためにというを大きな物語」にからめとられ、ここの教職員の違った行動・意見はもちろん、生きがい・悩みといった「小さな物語」が摘み取られてはいないか?
どうでもいい自分のつまらない話を職場の誰かに話すことが、あなたにはできているか?ー
内外教育 第6761より
これは、学校の教師であった娘が追い詰められて自殺した話の中で語られています。
当時、かなりワンマンな校長の学校経営に誰も口を出せず、エスカレートしていく過程で、職員室の後ろにあった丸い白いテーブルが撤去されたそうです。
私たち学校職員には、この意味が大変よくわかります。
つまり、職員たちが、「無駄話」をして心を通わせ合う場所をうばわれたということです。
私たちは、自分たちで知恵を出して、職員室の後ろなどにちょっとしたリフレッシュスペースを作ろうとします。
それはよいこととされています。
職員の不祥事や病気などが取りざたされるたびに、風通しの良い、なんでも話せる職場の仲間であることの必要性が問われるからです。
3月に改定された「小・中学校施設整備指針」にも、改定の方向性の7つの視点のうち4つ目に「教職員の働く場としての機能向上」として述べられています。
「丸い白いテーブル」はどの学校にも必要なんです。
みなさんは、丸い白いテーブルで、自分の小さな話をすることができますか?