毎朝,子どもたちが登校してくるのを迎えます。
「おはよう」と言ったとき,目を伏せたり,顔を見ても生気がなかったりする子供がいます。
もう一度「おはよう」と声を掛けますが,それでも反応がない場合はそのまま見送ります。
私たち大人でも「放っといてくれ」と思いたくなる時があります。
ましてや子ども。
朝,出てくる時までにいろんなことがあり,心が不安になっていたり,不満で一派になっていたり,また生活が不規則で体の具合が悪かったり。そんな時に,「おはよう」なんて言う気持ちが起こらないのです。
無理やり,三度も四度もおはよう!と言い続ければしかたなく「おはようございます・・」と言いますが,それは生活指導とは縁遠いものだと思います。
あいさつという生活の指導ではなく,子どもの心の見取りの問題です。
「何か,家であったんだろうなあ」と思う意識を持ちさえすれば,「なんか,きつそうやね」とか「つらいねえ」などと言ってあげられます。
そこから,不安,不満を吐露してくれることにつながります。
そうしてスッキリすることができた子どもは,安心して教室の友達と明るい顔で遊び始めます。
学校の教育の場では,このような営みをしています。
逆に保護者の視点から見ていただくと,朝,送り出した子供が,何かの不安,不満を抱えたままだと,学校では気持ちの良い生活ができません。
学校に原因がある場合はもちろんお知らせいただくことで解決の道を探ります。
しかし,子どもたちの不安,不満はそればかりではないのです。
保護者から,激しく叱られる。たたかれる。食事を食べさせてもらえない。話を聞いてもらえない。時には児童相談所に言わなければならないこともあります。
吐露してくれる言葉の中には,家庭でのそのようなことがかなり出てきます。
「親には言わないから心配しないでお話してね」と言わないと,子どもは親を守ろうとするので固く口を閉ざします。そのうえで吐露してくれたことについては「よくいってくれたね」といい,保護者には伝えません。それが一人間としての子どもとの信頼関係です。
たたくと,子どもはたたく大人になり,その子供をたたきます。
激しくなじると,子どもは切れたり,うそをいったりするようになり,その子供にもひどくなじるようになります。
大人が子供にしたことは,そのまま次の世代に連鎖していきます。
子どもは結構大人に遠慮しています。
忙しそうだから,相談したくてもできないと思っている子どももいるのです。
お父さんもお母さんも,自分の言いたいことだけを言うのではなくて,まず子どものいうことを聞いてあげることから始めてはいかがでしょうか。
それは子どもの安心になります。
安心している子どもはすくすくと育ちます。