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]]>簡単です。
やり方は全部指導書に書いてあります。
その通りにやるだけでいいんです。
図工の指導書には、
全部書いてあります。
なぜ、それを見ようとせず、自己流のやり方、どこかで聞いて来たやり方で指導しようとするんでしょうか。
もしかしたら、隣のクラスの子供の書く絵が素敵で、とてもそんな絵具の使い方を指導する自信がないないと思われているのでしょうか
心配ありません、
指導書に書いてある通りの内容を指導すれば、隣がいくらすごいのを書かせていてもいいんです。
私は子どもにとっての必要な基礎基本はちゃんと教えたと自信を持ってください。
困るのは、その学級、その教師にしが通じないやり方で指導することです。
こんなやり方で絵を書かせたら、作品展で金賞をとった
そういうノウハウを集めて来て自分もやってみたらすごい作品ができた。
その積み重ねがあると、自分の絵の指導は上手というような気になるのも肯けますし、他の人に教えたくもなるでしょう。
でも、それって、次の学年にいくと全部おじゃんですから。
次の学年の先生は、その子たちが指導書に書かれているやり方を学んでいるとばかり思ってその上に積み重ねようとしても
「去年の先生はこうしなさいと言いました」
「去年ということが違う」
などということになるんです。
画塾での指導のあり方と公教育での指導のあり方は別物です。
僕たちは、指導書にある内容をしっかり教えた上で次の学年に子供たちをお渡ししないといけないんですね。
算数や国語、理科や社会みんなそうやるんじゃないですか?
なんで図工だけ、教師の好き勝手な教え方が許されるんでしょうか?
ですから、水彩画の教え方に自信がない方、一度指導書を見てみてください。
そこに答えの全てがあります。
そこに書かれているやり方をちゃんと教えていればそれが一番いいんです。
子供がどうしていいかわからないから教えて、と言って来たときは、先生が教えるんじゃなく、子供同士で学び合いをさせたらいいです。
ちょっと辛口になりますが、先生から、その発達段階を遥かに超えたような、それでいて中途半端なスキルを習うよりは、友達同士で方法を学び合ってできていく方が遥かに図工指導としての価値があります。
僕たちは、美術教育の考え方は学んできていますが、個別の技法上の課題を解決してあげられるほどの専門教育は受けていません。
みょうに教えない方が子どものためでしょう。
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]]>図工の時間に対する教師の向き合い方は,大きく分けてふたつありそうです。
ひとつは,
「自分は自分が図工が苦手なのでとても教えられない,自信がない,自分が教えるより子供が自由に作品を作るほうがいい」
といって,子ども放任になるパターン。
ふたつめは,子どもの絵や作品作りの技術を上げて,素晴らしい作品をつくらせるために一生懸命本を読んだりして学び,それらの技術で子供の表現力をあげようというパターンです。
どちらがのぞましいかといえば,どちらも半分望ましくて半分望ましくないです。
ひとつめの放任型。
これは,子どもの自由な表現を尊重するという点では望ましいですが,放任になるのはのぞましくないです。
ふたつめの教え込み型
これは,子どもの表現技能を向上させようとする点では望ましいですが,ときに子供のニーズや発達段階お構いなしに,教師が頭に描く「素晴らしい作品」をつくらせようとするところが望ましくないです。
では,何が望ましいかというと,2つのパターンのよいところをとればいいのです。
子どもの自由な表現を尊重しながら,子どもが必要としている技能を伸ばしてやる指導をするのです。
むずかしそうですか?
実は、それが,子どもにとっても教師にとってもどちらにとってもいいのです。
子どもは,何が何だか分からない表現をおしつけられることもなく,今の自分が表現したいようにすることができ,表現に没頭するという図工にとって大切な学びをすることができます。
そして,したいことができないとき,それを可能にする方法や技術を教師や友達から習い,表現技能を向上させていくのです。
教師にとっては,自分の芸術に対する知識や技能があまりなくても「教えられない」といって悩む必要はありません。
困っている子どもに必要な技術だけ教えてやればいいのです。
子どもがしたいと思ってできないことは,たいてい大人の教師にはできます。
しかし,感覚を働かせないといけないこと,つまり,「ここをどんな色にしていいかわからない」などという悩みは,教師は相談に乗ってもいいけど,いくつか提案をするだけで,選択は子どもということが大事です。
この自己選択で,子どもの表現力はのびていくのですから。
教師は,教えなければならないことだけおしえてやればいいのです。
それは教科書に載っていることです。
教科書に載っていることなので,日本全国誰が教えても同じ内容です。心配する必要はありません。
それ以外のことは、教えることではなく,子どもが成長とともに学び取っていくことなのです。
たとえば,
「顔と体のバランスがおかしいね」とか
「画面構成としては,この辺に大きんな人をおいて」などです。
顔と体のバランスなどは,その子どもの認知の発達によるものが大きいのです。
大人にとってはバランスがおかしくても、子どもにとってはそのバランスがいいと思っているのです。
それをおかしいということは、子どもは自分の発達に自信を失ってしまいます。
また,画面構成など,人によって好みが違うこともあります。
その好みをおしつけることになってしまっては,子どもが自分で好みをつくっていくことができなくなります。
つまりこうです。
「教科書に書かれていないことまでおしえる必要はない。むしろ教えるのではなく,子どもたちの関係の中から学び合えるようにしてやるのかいい」
「教える」ことは,教える人の能力以内でしかありません。
絵の描き方を教えたら,子どもは教える先生の能力の範囲内でしか成長できないのです。
しかし,学ばせることは,教師の能力関係なしに,子どもは成長することができます。
では,具体的にどうしたらいいのか。
それは,授業の最初に教科書を使って教えることをさっさと教えてしまって,あとは,だまって子どもが絵を書いている姿,ものをつくっている姿をたのしめばいいのです。
楽しむとは,興味を持つということです。
「ここはこんな色にしたんだなあ」
とか
「あ,ここにこれをつけるんだなあ」
とか,
興味を持って子供の表現,自己選択の様子を見るんです。
そしてその姿を写真に撮ってあげる。
それが価値付けになり,評価になります。
子どもにアドバイスする必要はありません。
子どもと対話してください。
相談してくるときも,「そうなの,こうしたいんだねえ」と対話をしているうちに,自分で解決法を口に出しはじめます。
「そうだ,こうしてみよう」
くるっとまわって自分の席にもどり,また表現に没頭し始めます。
教師はそれをにこっと見つめて,また他の子供の表現をみて楽しむんです。
おとなりや,グループの中で自由に話ができる環境を作ってやってください。
先生に「これでいいですか」と聞きに来るんじゃなくて,お互いに承認し合ったり,聞きあったりする関係をつくってやればいいのです。
子どもたちはその中で,自己解決し,成長していきます。
教師はなんにも大変じゃないでしょう。
引き出してやるだけですから。
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]]>長年美術教育に携わって来た経験から、様々な絵画展の審査に呼んでいただくことがあります。
90年代の最初くらいからですから、かれこれ25、6年になります。
先日、とある絵画展の高学年の子ども達の絵を審査していたとき、一緒に審査していた方から、「この絵は緻密でコツコツと誠実に描いてますね。じっくり描いているのでしょう。色づかいも筆使いも素晴らしい」と言って一枚の絵を見せられました。
確かに言われる通り、よく描いたなぁと思える素晴らしい絵でした。
しかし、すぐに思い出します。
20年前は、高学年になるとこのくらいの絵はゴロゴロ出ていたのです。
それが,今ではたまにそんな絵が出てくると感嘆してしまう。
確実に子どもの絵の表現力は落ちています。
授業時数がどんどん増やされ、子どもの心に余裕がなくなって,汲々とした中で、確かに算数と国語の力は伸びてきました。
しかし、それら知的活動を支える土台であるはずの表現力、それ以前の表現に向き合う力が落ちてきているのです。
50%ほどでやめている絵があまりにも多い。時間がないからです。じっくりと表現することに向かい合えないのです。
ブラッシュアップにより質を上げていくという経験もなかなかできず、「できた。もうこれでいい」で終わることを余儀なくされる子ども達。
時間数が足りなくて、パレットの使い方や筆づかいなどの基本的技術も十分に教えてもらえないまま、書きなぐっています。
作り出す喜びなど感じられず、
聞こえるのは子どもの悲鳴です。
じっくりと没入して絵を描く。ここから喜びが生まれ、その繰り返しで、表現力が高まります。その先にあるのが「情操が豊かになること」なのです。
情操が豊かであることと、知的な好奇心は車の両輪。それがバランスです。
今、これがうまく働かなくなっています。
「ゆとり教育」というのは、本来このようなことをじっくりとできるために始まったのですが、「円周率を3と教えるらしい」というような誤解をされてしまい、揺り戻しが来て子どもは前よりもっとひどい窮屈の中に置かれてしまいました。
来年度施行される次の指導要領からは、英語が始まり、またまた週の時数が増えます。
子どもたちの学力は高まるのでしょうか。
それとも落ちていくのでしょうか。
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